「自分はまだマシだ」が言葉を奪う — 強い映像を伴う災害で、不調が申告されなくなるという問題

本記事は2026年7月28日以降の情報に基づく。状況は流動的であり、被害の全容は確定していない。本文中の被害情報はいずれも報道時点のものである。イオンモール熊本で発生した事象については、原因を含め調査中であり、本稿はその評価を目的としない。

今回の災害には、地震と、商業施設での爆発とみられる事象という二つの出来事が重なった。地震だけでも、事故だけでもない事態を経験するのは、多くの人にとって初めてのことだと思う。

この点について、惨事ストレス対応の専門家から示唆をいただいた。産業保健の観点から重要だと考えるので、共有したい。

目次

寄せられた指摘

CISM(惨事ストレスマネジメント)の普及に取り組む PSV Japan の中濱先生から、次のようなコメントをいただいた。

今回のように地震だけではなく、イオンモールの爆発事故が重なって起こるような災害は初めて経験する方がほとんどだと思います。イオンモールの映像はインパクトがとても強く、被災者の方が自分たちのインパクトを言えなくなる可能性もあるかと思えます。行政や医療関係者も然りですが、どの人も、話せる人とは恐怖や不安などをシェアしあって欲しいと思います。

短い文章だが、産業保健の実務にとって見過ごせない論点が含まれている。「被災者の方が自分たちのインパクトを言えなくなる」という部分である。

つらさが序列化されるとき

災害のあと、人は自分の体験を他人の体験と比べる。これ自体は自然なことだ。問題は、比較の基準がどこに置かれるかである。

きわめて強い映像が繰り返し流れると、その映像が「本当に大変な人」の基準になる。すると、家が半壊した人も、停電と断水のなかで一晩を過ごした人も、通勤経路が寸断されて出社できない人も、自分の体験を「あれに比べれば」と割り引いてしまう。

割り引かれた結果、何が起きるか。言葉にされなくなる。 「大したことない」と自分で判断し、誰にも言わない。産業医面談の対象にも上がってこない。安否確認に「大丈夫です」と返してくる。

これは謙虚さでも我慢強さでもなく、支援の入口が閉じるという実務上の問題である。

職域で具体的に何が起きるか

産業保健の現場で予想される形を挙げる。

  • 安否確認で全員から「無事」の回答が返り、実態が見えなくなる
  • 不調の自己申告が上がってこない。「自分より大変な人がいるのに相談するのは申し訳ない」
  • 直接被災していない従業員が、動悸・不眠・集中困難を訴えてよいと思えない
  • 被災地の店舗・工場に対応した本社側の従業員が、自分は現地にいなかったからと不調を否認する
  • 現場対応にあたった従業員が、救助にあたった人と自分を比べて口を閉ざす
  • 産業保健職自身が同じ構造に入る(後述)

いずれも「訴えがない」という形で現れるため、何も起きていないように見える。これが最も厄介な点である。

「映像を見ただけ」は軽くない

ここで押さえておきたい知見がある。強い映像への曝露は、それ自体が急性ストレス反応と関連することが報告されている。

PubMedで確認できる研究として、2013年のボストン・マラソン爆破事件後に米国の代表サンプル(ボストン846名、ニューヨーク941名、その他の全米2,888名)を調査した Holman らの報告がある。事件前のメンタルヘルス状態、人口統計学的要因、過去の集団的ストレス曝露を調整したうえで、事件後1週間に事件関連の報道に1日6時間以上接していた群は、現場に直接曝露した群よりも高い急性ストレス症状を示した(メディア曝露 b = 15.61、直接曝露 b = 5.69)。著者らは「マスメディアが地域のトラウマの負の影響を、直接影響を受けた地域を超えて広げる導管になりうる」と述べている(DOI: 10.1073/pnas.1316265110)。

同じ研究グループは、9/11とイラク戦争の映像曝露について、1日4時間以上の視聴が2〜3年後の身体的不調の増加と関連したことも報告している(DOI: 10.1177/0956797612460406)。さらに、報道への曝露が苦痛を高め、その苦痛が次の出来事でのさらなる報道視聴を招くという循環も示されている(DOI: 10.1126/sciadv.aav3502)。

これらは日本の職域で行われた研究ではなく、そのまま一般化はできない。しかし少なくとも、「自分は映像で見ただけだから」という理由でつらさを割り引く根拠にはならないことは言える。むしろ、その人を沈黙させている映像そのものが、負荷の一部になっている可能性がある。

比較して黙る、という反応は、比較の方向がそもそも間違っている。

誰が「言えなくなる」のか

今回、特に注意しておきたい層を挙げる。

言えなくなる理由
直接の被害が軽い被災地の従業員映像で見た被害と比べて自分の体験を割り引く
被災地外の従業員「自分は被災していない」ので訴える資格がないと感じる
家族・実家が被災地にある従業員本人は無事なので周囲に言いにくい
現場対応・復旧にあたる従業員救助にあたる人と比べて自分の負荷を軽く見る
管理職・経営者部下が大変ななか自分が不調を訴えられない
支援に入る医療者・行政職員職業的役割の側に自分を寄せ、支援対象から自分を外す
産業医・保健師支援する側であるという立場が同じ構造を作る

中濱先生が「行政や医療関係者も然りですが、どの人も」と書かれているのは、この構造が職種や立場を問わず働くという指摘だと理解している。

では、何をするか

中濱先生の提案は「話せる人とは恐怖や不安などをシェアしあって欲しい」というものである。ここで注目したいのは「話せる人とは」という限定である。全員が話すべきだとは書かれていない。話せる相手がいる人が、その相手と話す。これは強制ではなく、話してよいという許可の話である。

職場でできることを、実務の粒度で挙げる。

1. 「比べなくてよい」と明示的に言う

最も効果が見込めて、最も簡単で、最もやられていないのがこれである。「被害の大小にかかわらず、体調や気持ちの変化があれば言ってください」「他の人と比べる必要はありません」と、言葉にして伝える。言わなければ、比較は自動的に起きる。

2. 相談の閾値を下げた言い方をする

「不調のある方は産業医面談を」ではハードルが高い。「眠れていない、食欲がない、集中できない、そのどれかが続いている方は、まず声をかけてください」のように、具体的な状態を挙げて敷居を下げる。診断名や「メンタル不調」という言葉を入口に置かない。

3. 反応が起きるのは自然だと先に伝える(ノーマライゼーション)

強い出来事のあとに動悸・不眠・イライラ・その場面が繰り返し思い浮かぶといった変化が出るのは、多くの人に起こる自然な反応である。これをあらかじめ伝えておくと、症状が出たときに「自分がおかしくなった」と受け取らずに済む。

惨事ストレスの領域では、この「反応」の段階と、それが強く長く続いて生活に支障が出た「症」の段階を区別して考える。前者は多くの人に起こり、時間の経過や周囲の支えで和らいでいくことが多い。後者は専門的な対応が必要になる。この境目を意識しておくことが、支援の判断につながる。

4. 映像との距離について助言する

情報を遮断しろという話ではない。必要な情報は取る必要がある。ただし、同じ強い映像を繰り返し見続けることは別である。「必要な情報は決まった時間に取る」「同じ映像を繰り返し再生しない」「就寝前は避ける」といった具体的な提案が現実的だ。子どもがいる家庭では特に伝えたい。

5. 声かけの実例

管理職が使える形にしておく。

「今回のことで、体調や気持ちに変化はありませんか。被害の大きい小さいは関係ありません。眠れない、食べられない、集中できない、そういうことがあれば教えてください。話したくなければ話さなくて大丈夫です。」

最後の一文が重要である。話すことを求めると、話せない人が追い詰められる。

補足:デブリーフィングをめぐる評価について

本シリーズの記事07で「心理的デブリーフィングの一律実施は推奨されないという知見がある」と書いた。CISMの紹介と矛盾するように見えるかもしれないので、整理しておきたい。

否定的な評価の中心にあるのは、Rose らによるコクラン・レビュー “Psychological debriefing for preventing post traumatic stress disorder (PTSD)” である。このレビューは、単回・個別の心理的デブリーフィングを対象としており、有用であるという証拠はなく、一部の試験では1年後のPTSDリスクの上昇(オッズ比2.51)が報告されたとしている。著者らの結論は「トラウマの被害者に対する強制的なデブリーフィングは中止されるべきである」であり、代替として「スクリーニングして必要な人を治療する」モデルを挙げている。WHOも同種の評価文書を公開している。

ここで押さえるべき点が二つある。

第一に、このレビューが対象としたのは単回・個別のデブリーフィングであり、グループを対象とした介入は対象外とされている。CISMにおける対話型の技法(Defusing、CISD)は、同じ体験を共有する同質グループに対して、任意参加で、訓練を受けたチームとメンタルヘルス専門家を含む体制で、多成分のシステムの一部として行われるものと位置づけられている。したがって、コクラン・レビューの結論をそのままCISDへの評価として転用することは、厳密には成り立たない。

第二に、それでも「強制するな」という点では両者は一致している。否定的評価の核心は compulsory(強制)にある。中濱先生が「話せる人とは」と限定して書かれていることも、参加の任意性という同じ原則を指している。

そして実務的には、職場で産業保健職ができることの大半は、争点になっていない領域にある。正確な情報の提供、反応のノーマライゼーション、対処法の教示、必要な人を個別対応や専門機関につなぐこと。CISMの枠組みでいえば情報型の介入と個別対応にあたり、これらは否定的評価の対象ではない。

対話型の技法を実施するかどうかは、訓練を受けた体制があるかどうかの問題である。体制がないまま見よう見まねで「みんなで体験を語る会」を開くことは、勧められない。一方で、「話せる人と話してよい」という環境を作ることは、誰でも今日からできる。

この二つを混同しないことが、実務上は最も大切だと考えている。

まとめ

  • 強い映像を伴う災害では、被災した人が自分のつらさを言えなくなる。支援の入口が閉じる
  • 「映像で見ただけ」は軽いとは限らない。映像への長時間の曝露と急性ストレス反応の関連が報告されている
  • 対策の第一歩は、「他の人と比べる必要はない」と言葉にして伝えること
  • 反応が出るのは自然だと先に伝え、相談の閾値を下げる
  • 話すことを強制しない。「話せる人とは話してよい」という許可を出す
  • 支援する側、産業保健職自身も同じ構造の中にいる

最後に、コメントをくださった中濱先生は「先生もどうぞ、お疲れ出ませんように」と結んでおられた。この一文自体が、支援者に向けた声かけの実例だと思う。

参考

※ 惨事ストレスとCISMの枠組みについては、PSV Japan 中濱先生よりご提供いただいた資料「CISM|惨事ストレスマネジメント」を参考にした。

※ 文献情報の一部はPubMedを通じて確認した。

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