本記事は2026年7月28日19時時点の情報に基づく。状況は流動的であり、最新の公的発表を優先すること。個別の被害情報はいずれも同日各時点の報道である。また本記事は法的助言ではなく、労働基準法や労災保険の個別の適用は所轄労働基準監督署・社会保険労務士に確認のうえ判断されたい。
2026年7月28日16時27分頃、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し、宇城市豊野町と氷川町島地で震度7を観測した。震度7の観測は2024年の能登半島地震以来である。
被災地の事業場は今、安否確認と現場対応で手一杯になっている。一方、被災地の外にいる本社・人事総務には、翌朝までに答えを出さねばならない問いが積み上がる。出社させるのか、賃金はどうなるのか、応援に人を出すのか。
本稿は被災地外の本社が迫られる労務判断を産業保健の視点から整理する。示すのは結論ではなく判断の枠組みである。
出勤の可否を従業員に判断させない
最も早く必要になるのは「明日は出勤なのか」への回答である。避けたいのは判断を個々の従業員に委ねることだ。「無理のない範囲で出社してください」は、配慮しているようで、危険な道路を通ってでも出社する人を生む。組織の「無理のない範囲」は、最も無理をした人の行動が基準になりやすい。
事業場として基準を示したい。道路の通行可否(18時時点で九州自動車道など複数区間が通行止めと報じられている)、公共交通(17時40分に熊本市電が全線運休、再開のめど立たずと報じられている)、余震、家族の状況、住居の被害。この5点を挙げ、「いずれかに該当すれば出勤しなくてよい」「迷う場合は出勤しない」と、安全側の既定値を文章で示す。
通勤途上の被災は「記録」を残す
通勤の途中で被災した場合、通勤災害にあたるかは個別の事実関係に基づいて判断される。会社が独自に該当する/しないと断定して伝えることは避けたい。すべきなのは認定の予断ではなく、記録を残すことである。いつ、どこで、どの経路で何が起きたか。負傷の有無と受診先。連絡の時刻と手段。今回は通常と異なる経路での移動が増える。経路変更も含めて記録を残し、取扱いは所轄労働基準監督署に確認する。
休業手当と、説明を先送りしないこと
労働基準法26条は、使用者の責に帰すべき事由による休業について平均賃金の60%以上の休業手当を定めている。天災事変等の不可抗力による休業は原則として対象外とされるが、不可抗力にあたるかは個別判断であり、自社の解釈だけで断定すべきものではない。厚生労働省が自然災害時の労働基準関係の取扱いを整理しているので、まずこれを確認し、所轄労働基準監督署・社会保険労務士に相談したい。
人事が明日決めるべきはむしろ手前の設計である。就業規則に災害時の特別休暇の定めがあるか。年次有給休暇を充てることを認めるか、本人の意思によるものとするか。無給とする範囲はどこまでか。
そして説明を先送りしないこと。未確定でも「確認中で、○日までに方針を示す」と伝えるだけで不安は減る。賃金の見通しが立たないことは、住居を失った従業員には被害と並ぶ心理的負荷になる。
応援派遣と安全配慮義務
被災した事業場を支えるため、他地域から人を出す判断が早晩必要になる。安全配慮義務は送り出す側にも及ぶ。行かせるなら次を事前に決めておきたい。
- 宿泊:確保できないまま送らない。車中泊を前提にしない。2016年熊本地震では車中泊に伴う肺塞栓症(エコノミークラス症候群)の発症が報告され、死亡例も出た。
- 移動:経路・手段・交代要員。長時間運転を一人に負わせない。
- 水・食料の自己完結:現地の資源を消費する側に回らない。
- 連絡:定時連絡の時刻と手段、途絶時の対応。
- 撤収基準:「いつ帰すか」を出発前に決める。現地で決めさせない。
- 健康確認:出発前と帰任後。持病・服薬・睡眠を含む。
今回の最大の特徴は猛暑である。7月28日は九州7県すべてに熱中症警戒アラートが発表され、熊本県内3か所で観測史上最高気温が記録されたと報じられている。発災後は熱帯夜が予想され、停電で空調が止まった地域もある。2025年6月1日施行の改正労働安全衛生規則により職場の熱中症対策は罰則付きで義務化されており、派遣先での作業もその枠組みの外にはない。復旧に伴う解体・撤去作業には石綿障害予防規則が適用される。
本社ができること・してはいけないこと
被災地外の本社が現場にできる最も価値のある支援は、判断を代わりに引き受けることである。出勤基準、賃金の取扱い、来客・出張の停止、報告の簡素化。本社が決めて通知すれば、現場は目の前の対応に集中できる。
逆にしてはいけないのは過剰な報告要求だ。複数の部署が別々の様式で報告を求めると、現場は同じ内容を何度も書くことになる。窓口は一本化し、様式と頻度は現場が回せる範囲に落とす。
支店・工場が稼働できない場合、従業員が最も知りたいのは雇用の見通しである。確定情報がなくても、検討状況と次の連絡予定を早く出すことが心理的負荷を左右する。
サプライチェーンと被災地外の事業場
熊本県には菊陽町のJASM(TSMC子会社)をはじめ半導体関連企業が集積し、自動車部品や食品加工の事業所も立地する。取引先の被災を通じて全国の事業場に影響が及びうる。ただし現時点で個別企業の被害は確認されていない。影響が出れば被災地外でも急な残業や休業が起こりうる。労働時間管理の観点から方針を先に想定しておきたい。
被災地に家族・実家がある従業員
全国どの事業場にも、熊本やその周辺に家族・実家がある従業員が必ずいる。震度5強以上は長崎・鹿児島・福岡・佐賀・宮崎・大分にも及び、対象は広い。家族と連絡が取れないまま勤務する心理的負荷は大きい。帰省の扱い(特別休暇か、有給か、在宅勤務の可否か)を決め、全社に周知する。申し出を待たず、こちらから通知を出す。本人からは言い出しにくいからである。
産業医・保健師に相談する境界線
人事だけで抱えないほうがよいのは、服薬・通院の継続が必要な従業員が被災地にいるとき、睡眠や食事がとれていないという訴えが出たとき、応援派遣から戻った従業員に不眠・過覚醒・気分の落ち込みが見られるとき、そして人事担当者自身の負荷が高いときである。
2024年能登半島地震では被災自治体職員のメンタルヘルス不調が問題化した(自治労石川県本部の実態調査)。対応する側が消耗する構図は企業でも起こる。惨事ストレスやバーンアウトはDPAT「災害時の支援者支援マニュアル」や兵庫県こころのケアセンターの資料が詳しい。
善意の押し付けにしないための設計
見舞金、寄付、支援物資、ボランティア派遣。いずれも善意から出るが、設計を誤ると負担に変わる。募金は任意であることを明示し、部署単位で集計・公表せず、参加の有無が評価に影響しないと明言する。物資は現地のニーズを確認してから送る。ボランティア派遣は業務としての位置づけ(労働時間、費用、保険)を明確にする。被災した従業員には支援メニューを一覧で示し、本人が選べる形にする。「何が必要か言ってください」は、消耗している人には新たな作業になるからである。
明日の朝までに決めておきたい5つの判断
- 出勤の可否基準を文章で示す。 「迷ったら出勤しない」を既定値にする。
- 賃金・休暇の取扱いは、未確定でも「いつ回答するか」を通知する。
- 応援派遣の可否と条件を決める。 決められないなら送らない。
- 報告窓口を一本化し、様式と頻度を最小限にする。
- 被災地に家族・実家がある従業員への配慮を全社に通知する。
被災地の外にいるからこそできる仕事がある。それは情報を集めることでも気持ちを寄せることでもなく、判断を引き受けて文章にすることである。
参考
- 気象庁/tenki.jp 熊本県で震度7の地震: https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2026/07/28/39906.html
- ウェザーニュース M7.1 最大震度7: https://weathernews.jp/news/202607/281627quake/
- NHK 熊本で震度7 けが人多数: https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015188221000
- NHK 熊本県内 各地で猛烈な暑さ 避難所は熱中症に注意を: https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015188731000
- 西日本新聞 九州7県全県に熱中症警戒アラート: https://www.nishinippon.co.jp/item/1520357/
- 熊本日日新聞 リアルタイム速報: https://kumanichi.com/articles/2018619
- 日本経済新聞 熊本県で震度7: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD286M70Y6A720C2000000/
- 厚生労働省 自然災害が発生した場合の支援や制度について(労働基準関係): https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00177.html
- 厚生労働省 石綿障害予防規則など関係法令について: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/sekimen/jigyo/ryuijikou/index_00001.html
- 厚生労働省 令和6年能登半島地震の教訓を踏まえた対応: https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001431637.pdf
- 自治労石川県本部 能登半島地震による被災自治体におけるメンタルヘルス等に関する実態調査結果: https://www.jichiro.gr.jp/.assets/%E3%80%90240816%E3%80%91%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%9F%E6%85%8B%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90.pdf
- DPAT 災害時の支援者支援マニュアル: https://www.dpat.jp/images/Document/Document_q7ATVK33rLJehKBZ_1.pdf
- 兵庫県こころのケアセンター 災害救援者のための資料: https://www.j-hits.org/document/disaster_rescuer.html